SEM-Analytics » メディア論 http://www.sem-analytics.com デジタルマーケティングを支えるテクノロジーを考えています Mon, 06 Jan 2014 14:22:21 +0000 ja hourly 1 http://wordpress.org/?v=3.5 CPMが死んでもらいたいと思われる理由 http://www.sem-analytics.com/2009/09/cpm.html http://www.sem-analytics.com/2009/09/cpm.html#comments Tue, 29 Sep 2009 07:11:48 +0000 Hideya Kato http://www.sem-analytics.com/?p=372 CPMを殺しましょう, 絶対に生き返らないように(Techcrunch)
CPMが無くなったからといってじゃあCPCか!とか全然思わないですが、一理あると思います。


いろいろなブログで書かれているとおり、バナーサイズや掲載面、メディア自体やユーザーの違いから、単に「1インプレッション」というように表現するのは本質的ではない気がします。
それ以上に僕がCPMが嫌われる理由だと思っているのは

自然で妥当な制限がない。テレビや印刷物、ラジオなどはある一定量までの広告しか挿入できない。インターネットは違 う。1ページあたりの広告はいくらでも増やせるし、ユーザをあれしろこれしろとこづいてインプレッションをかさ上げできる。こんなことを言う掲載者にあな たも会ったことがあるだろう: “インプレッションがそんなに大事なら、1ページの広告を4つじゃなく8つにすればいいだろ”。あるいは: “ユーザが新しいメールを送るたびに違う広告を表示できないの?”。

という部分。
(実際はマーケティング予算を取るだけの妥当な効果とボリュームがだったとしても)その「インプレッション」という数字は物理的なハードルが低い状態で量産できるポテンシャルがあるから、『信用できない』。というのがあると思う。
この点に関してはやっぱり広告主視点とメディア視点で新しい指標を作る必要はあると思いますね。
ちなみにCPMで購入すると広告主側は損をするという感じの意見の方も多いのですが、そもそもCPMだけで広告枠を購入されてる広告主はいらっしゃらないですし、それを単純にKPIにおいているところもないでしょう。
おなじCPMでも、クライアントの要件に応じていい/悪いが出てきますし、それを精査するのは代理店がやっていると思います。(効果の悪いところのは値段が下がるか売れなくなります。)
何が言いたいかというとCPMというのは
1.広告の販売形態の一つ
2.広告主の効果測定の指標の一つ
という2つがあり、1に関しては前述の通り最終的な効果そのものではないので(今のところは)あってもいいと思います。
2に関して、より広告主およびメディアの情報をミックスさせて「納得のいく」指標を作ることが出来れば販売の仕方も変わるかもしれないですね。

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めずらしくテレビの話 http://www.sem-analytics.com/2009/04/post_76.html http://www.sem-analytics.com/2009/04/post_76.html#comments Wed, 08 Apr 2009 23:58:38 +0000 Hideya Kato http://www.sem-analytics.com/?p=297
収益化に苦しむ「GyaO」と「Yahoo!動画」、統合でコスト削減&拡大を狙う
(マイコミジャーナル)

「動画コンテンツ市場はテレビからインターネットへ」
なんていう意見が生まれて久しいですが、これだけインターネットが
普及したら動画を何で観るかという議論はあまり意味がないですね。
簡単にいうと面白い方を観るだけっていう。
結局
何で観るか
じゃなくて、
何を観るか
なんですよね。
そういう意味ではインターネット動画がテレビに追いつくのは
かなり時間がかかると思う。
(動画~連発!みたいな番組にうんざりしてるひとはわかると思う)
もっとも、テレビ番組の質の低下ははなはだしいので、
低いレベルでは追いつくかも知れないですが、きっと
その時にはどっちもみてくれないでしょう。
しかしなんでインターネットでみせるだけのビジネスが
したいんだろう?
見せる仕組みどうこうじゃなくて、コンテンツをどうつくるか
考えた方がいいと思うんだけど。

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マーケティングツールとしてのtwitter http://www.sem-analytics.com/2009/03/twitter_1.html http://www.sem-analytics.com/2009/03/twitter_1.html#comments Wed, 11 Mar 2009 23:56:32 +0000 Hideya Kato http://www.sem-analytics.com/?p=289 Omniture SiteCatalyst、Twitterの解析に対応(SEM-R)
まだまだ利用者の少ない日本では活用できないかもしれませんが、
ある程度の規模があればマーケティングのひとつの指標として
利用できるということでしょう。
一言で「クチコミの測定?」なんて表現するひともいますが、
改めてtwitterの立ち位置を考えてみると、
“誰かに伝えたい”
というよりは

“自分のなかのもやもやや浮かんだものを吐き出したい”

というイメージが強い。
「意識可視化エンジン」
とでもいうでしょうか?
twitterを測定するということは、どれだけクチコミしているか
という訳ではなく、どれだけのひとの意識のなかに届いたかと
いうことであり、単純にtwitterで宣伝効果がいいからって
twitterに書き込んでもらうキャンペーンとかはナンセンス。
認知と興味の間で意識の深さを表すサービスなので、
改めて認知という部分でより広く深くできたかどうかの
指標として活用するべきなんじゃないかなと思います。

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ネットはゴミの山なのか? http://www.sem-analytics.com/2009/02/post_72.html http://www.sem-analytics.com/2009/02/post_72.html#comments Mon, 16 Feb 2009 00:00:00 +0000 Hideya Kato http://www.sem-analytics.com/?p=284 ダイヤモンド・オンラインの記事です。
「かんぽの宿」騒動で分かった! 賛否両論なき日本のネットはゴミの山|岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン
「ネット=ゴミの山」というのをメディア論を教えている方が
ネットに(!)公開しているのにはビックリしました。

 民主主義が貫徹されるためには、どんな事象についても賛否両論が健全に展開されるべきです。そのためには、トーマス・ジェファーソンの言葉からも明らかなようにジャーナリズムが重要な役割を果たすのです。ところが、”かんぽの宿”から明らかになったのは、日本のネット上は同じような一面的な評論とその安直な引用ばかり、情報のゴミ溜めとなっており、今のままではマスメディアに代わってジャーナリズムを支え、民主主義を強化する器にはなり得ないということです。スキャンダルやゴシップの集積場でしかないのです。

なかなかきつい論理展開ですが、確かにインターネットはまだまだ
マスメディアに比べて2次リソースの展開の場になっている事が
ほとんどです。
ただ、それが「情報のゴミ溜め」ということになるかというと
ちょっと安直過ぎるような気がします。
そもそも個人的にはマスメディアが賛否両論を反映した健全な
ジャーナリズムだとは考えていません。取り扱っている問題に
よってはごくわずかの評論家による批判だけが飛び交っている
場合もあります。
それでも影響力は非常に大きいです。
インターネットというのはよくも悪くもマスメディアの影響を受けます。
もし多くの批判しかでてこないのであれば、マスメディアの影響が
そのようにしか視聴者に伝わっていないと考えても
言い過ぎではない気がします。
テレビで行われているディスカッションのすべてが視聴者に
理解されている可能性はそこまで高くないと思うので。
マスメディアのような1次リソースから、2次リソースによるそれを
受け取っているひと全体の考えなどのまでくみとれて初めてこれからの
ジャーナリズムが成立すると思います。
メディア論として、インターネットを単体メディアとしか考えず、
マクロな視点でこれまでのジャーナリズムをどう変えていくかを
論じていない記事にはちょっと残念な気がします。

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